IN TAKATORI   高取グラース

「まだ見ぬ未来を拓く」

Move up to My ideals

作者

池松 一隆

この彫刻があるマンション

マンション外観

ベルメゾン高取グラース

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〒814-0011
福岡市早良区高取1丁目5-26

高取焼

一.高取焼

地名の由来となった「高取焼」文禄、慶長の役(1592年~98年)は別名「やきもの戦争」とも呼ばれています。 それは日本軍が帰国の折に様々な文物を持ち帰り、専門職集団を強制移住させたが、 その中に「やきもの」や「陶工」の比重が圧倒的であったことに因んでいます。そして、高取焼も文禄、慶長の役後に開窯された焼物の一つです。 現在、高取にある味楽窯に併設されている味楽窯美術館で「古高取」と呼ばれる朝鮮風の作品と「遠州高取」の作品を同時に見ることができます。 二つを比べると、遠州の七色の釉薬を特色とするいわゆる「綺麗さび」の思想を受け、繊細で美しい日本の焼き物へと変わっていった様子がわかります。

紅葉八幡宮

二.紅葉八幡宮

紅葉八幡宮は文明十四年(室町時代)筑前の国橋本村に御創建されました。 江戸時代にいたり、福岡藩三代藩主黒田光之侯により西新の地(百道松原)に遷宮され歴代藩主により、篤く信仰されておりました。 正面大鳥居には梶井宮親王宸筆の黄金の額が奉納され、西新の町々が門前町として発展していきます。 歴代藩主の崇敬も篤く福岡藩・黒田家の守護神として多いに賑わい、福岡に一旦事ある時はまず当宮に参拝祈祷されることが慣例となっていました。 近年、紅葉八幡宮はその名の通り境内にモミジの木が多く、秋には真っ赤に色づき、訪れる人の目を楽しませてくれます。


西新商店街

三.西新商店街

「西新商店街」は、樋井川から藤崎の交差点まで続く約1.5kmほどの長い通り。 ここは江戸時代に、豊前の小倉から、博多を通り唐津へと向かう「唐津街道」が通っていたその中間地点でもあります。 西新駅周辺から藤崎駅までの商店街を総称し、「西新商店街」といいます。「リヤカー部隊」で有名な西新中央商店街を始め、 多くの商店街が「シャッター商店街」と呼ばれる中、全国的に見ても空き店舗率が少なく、活気あるお店と人々で賑わいをみせています。 周辺には、県立修猷館高等学校や西南学院(中・高・大)などがあり、学生街として若者も行き交っています。 また、文教地区であることや、住みやすさから転勤族向けのマンションも多く「転勤族の街」とも呼ばれています。

修猷館高校

四.修猷館高校

修猷館は、天明4年(1784年)藩主の黒田家は学問を奨励し、黒田藩の藩校として創設されました。 この頃、全国的に藩政改革の必要性が意識され、各地に藩校ができました。 ただ、設置間もない寛政2(1790)年、幕府が朱子学を重視する「寛政異学の禁」を発したことなどで、藩校は統一を余儀なくされることとなりました。。 福岡城東門前にあることから「東学問稽古所 修猷館」と呼ばれた藩校こそが、修猷館高校のルーツになります。 名前は中国の古典「尚書」にある「猷(みち)を修(おさ)む」から取られています。 近年、修猷館高校の校是「自由闊達(かったつ)」な校風が醸成され、自主独立の精神を受け継ついできていることを背景として、 生徒による大幅な自治が認められている福岡県下随一の共学の進学校であります。