三.飢人地蔵
享保17年(1732年)、西日本一帯を大飢饉が襲いました。福岡藩だけで約10万人といわれる餓死者を追悼するため、市内各地に飢人地蔵が建てられました。
冷夏とそれによる害虫の大量発生が原因と言われていて、福岡では人口の約1/3の人が犠牲となったとされています。
【福岡市西区】上原の六地蔵、今宿・徳正寺の地蔵、東松原の地蔵堂
【同市早良区】祖原・顕乗寺の地蔵堂、西の地蔵、野芥の地蔵
【同市中央区】桜坂の地蔵、大手門・浄念寺の供養塔、地行・圓徳寺の地蔵
【同市博多区】萬行寺の无縁塔・餓死塔、大浜の供養塔、栄町の地蔵堂、東中州の地蔵堂
【同市東区】箱崎一光寺の供養塔
【大野城市】乙金の枯骨塔、山田・慶伝寺の倶会一処塔
市内だけでもこれだけの地蔵が建てられているようです。