一.唐人船の往来
『筑前国続風土記』には「其始高麗人住せり」とあり、『筑前国続風土記拾遺』には
「往古は唐船が泊まりしゆえ、如此名あるよし」とあります。古来より国際都市であったことがうかがわれます。
「唐人町」の地名の由来にもなっています。
外国交流の窓口として唐人町の基礎が築かれ、この港に着いた外国の人々は唐人町で準備を整えてから古代の迎賓館であった
「鴻臚館」へ向かったとも言われています。
※鴻臚館(korokan)とは、 大宰府政庁時代の、日本国家の外交・交易の為の迎賓館施設です。
平安京とは別に九州では今の福岡市旧平和台球場のあたりに造られ、11世紀まで、唐や新羅などとの交流最前線の機関でした。