IN SAKURAGAOKA   桜ヶ丘

悠久の時の間

-古代王国の栄華が残るパワースポット

作者

池松 一隆

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マンション外観

桜ヶ丘

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〒816-0872 福岡県春日市桜ヶ丘6丁目55

「ベルメゾン桜ヶ丘」歴史背景とゆかりのスポット

古代王国「奴国」の栄華

一.古代王国「奴国」の栄華

1万年以上も前から、人々の生活が連綿と続く《春日》の地
弥生時代、春日丘陵北半部のほぼ全域に隙間なく集落や墓地が広がっていきました。 古代中国の史書『後漢書』に記される「奴国(なこく)」の中心地とするにふさわしく、須玖岡本遺跡をはじめ、 全国的に著名な弥生遺跡が市域にはひしめいています。このような状況は弥生時代の終わりまで続き、 市内の各所からは当時の宝物である青銅器やガラス製品が多く発見されています。また、それらを生産するための鋳型などが集中的に出土しており、 この時代の春日が、日本全土で最も先進的な技術・文化を誇っていたことを物語っています。

古代王国「奴国」の栄華

古代王国「奴国」の栄華

春日神社

二.春日神社

中大兄皇子(天智天皇)ゆかりの権現様
春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年~672年)が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、 春日の地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来します。 太宰大弐であった藤原田麿は、この地を参拝した後に、故郷である大和の国(現在の奈良)の春日大社から、 雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、その武甕槌命と関係が深いといわれる経津主命(フツヌシノミコト)、 姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建するにいたりました。以後、春日神社は長きにわたり、春日の地を見守り続けています。 その後、元禄九年(1696年)には、福岡藩三代藩主・黒田一貫公により社殿を境内上段に引き上げられ、遷宮の大礼がなされました。

春日神社