三.紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」
江戸時代、福岡藩第三代藩主黒田光之により紅葉八幡宮が西新の地に移されて以後、黒田家、黒田藩守護神として御参拝が慣例となりました。
ここを中心に藩士の宅地も造成され、付近は門前町として栄えました。「西新」という地名は、江戸時代に現在の中央区今川付近が「西町」
と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来しているとのことです。これがいつしか逆転して「西新」になりました。
当時、神社は広壮なる社殿、能舞台、随神門、鐘閣を有し、大祭の日には猿楽流、鏑馬、相撲等が奉納されました。
その期間中、福岡城は登城御免(藩の休日)とされ、歴代藩主は婦人、家臣団共々御参拝され、玉串を捧げらたと伝えらます。
江戸時代は東の筥崎、南の太宰府、西の紅葉と賞され、藩主よりの奉納の品々にあふれていました。藩に一旦事あれば、
まず紅葉八幡宮に御祈願されることが慣例となっていたということです。
社前の商家、人家も門前町として発展し旧西新(西新、高取、百道)の町々となります。
現在、八幡宮は新年の参拝者が十万人を数えます。このパワースポットを中心とした丘や杜一帯は整備され、紅葉山公園として学童の遠足、
スケッチ大会や花見、散策など市民の憩いの場として多くの市民に親しまれています。