IN NISHIJIN   西新南

Agape_無償の愛 

-溢れる愛に抱かれて

作者

池松 一隆

この彫刻があるマンション

マンション外観

西新南

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〒814-0021 福岡県福岡市早良区荒江2丁目3−12

「ベルメゾン西新南」歴史背景とゆかりのスポット

一.西新町遺跡

古代(3世紀末~4世紀初め)、この地は国内最大の国際交易港だったことが修猷館高校の改築時に発掘された 「西新町遺跡」によって明らかになりました。中国や朝鮮半島からもたらされた様々な先端技術と共に人々のパワーが息づいていたことでしょう。

二.元寇防塁in Nishijin

祖国防衛の最前線、元軍から日本を守り切ったパワースポット 西新地区においては、西南学院大学周辺に防塁が保存されています。周辺には松が育ち、松原の面影を留めています。 今から700年以上前、元の襲来に備え、今津から香椎まで約20kmの博多湾岸に元寇防塁が築かれました。 すでにその多くの石材が福岡城築城に利用されるなど、都市の発達とともに取り壊され、今ではここ西新の他、数カ所に残るのみです。

紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」

三.紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」

江戸時代、福岡藩第三代藩主黒田光之により紅葉八幡宮が西新の地に移されて以後、黒田家、黒田藩守護神として御参拝が慣例となりました。

紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」

ここを中心に藩士の宅地も造成され、付近は門前町として栄えました。「西新」という地名は、江戸時代に現在の中央区今川付近が「西町」 と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来しているとのことです。これがいつしか逆転して「西新」になりました。 当時、神社は広壮なる社殿、能舞台、随神門、鐘閣を有し、大祭の日には猿楽流、鏑馬、相撲等が奉納されました。 その期間中、福岡城は登城御免(藩の休日)とされ、歴代藩主は婦人、家臣団共々御参拝され、玉串を捧げらたと伝えらます。 江戸時代は東の筥崎、南の太宰府、西の紅葉と賞され、藩主よりの奉納の品々にあふれていました。藩に一旦事あれば、 まず紅葉八幡宮に御祈願されることが慣例となっていたということです。

紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」

社前の商家、人家も門前町として発展し旧西新(西新、高取、百道)の町々となります。 現在、八幡宮は新年の参拝者が十万人を数えます。このパワースポットを中心とした丘や杜一帯は整備され、紅葉山公園として学童の遠足、 スケッチ大会や花見、散策など市民の憩いの場として多くの市民に親しまれています。

紅葉(もみじ)八幡宮(はちまんぐう)と門前町「西新」

四.商業・文教の街「西新」

明治時代末期にはいち早く路面電車が走り、市民の足として生活を支え、ますます西新のまちは発展しました。 また、昭和30年代の映画全盛期には、映画館が7館もあったそうです。周辺には福岡県立修猷館高等学校や西南学院中学校・高等学校、 西南学院大学などがあり、学生と若者の街として種々施設が整備されています。 福岡市総合図書館や福岡市博物館があるシーサイドももちからも近いことから、西新周辺以外の学生の往来も多く、 地下鉄西新駅を中心に人々の往来が絶えません。