一.麁(そ)原(はら)元寇古戦場
(現:祖原公園 福岡市早良区昭代1丁目)
祖国防衛の最前線、元軍から日本を守り切ったパワースポット
文永11年(1274)10月、元と高麗の連合軍は今津から百道原に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂の一帯は戦闘の地と化しました。
この時、激戦場のひとつとなったのが元軍が陣を構えた百道浜の後背地にある麁原山です。
日本軍は少弐景資、肥後の菊池武房、竹崎季長らがこれを迎え討ち、血戦の末、みごと祖国を守り抜き、元軍は船に引き上げた後、
侵攻を断念して日本から撤退しました(文永の役)。
竹崎 季長(たけさきすえなが)は、鎌倉幕府御家人。肥後国竹崎郷(現熊本県宇城市松橋町)の出身。菊池氏の一族。
文永の役において息の浜に陣を敷く日本軍総大将・少弐景資に、元軍への先駆け(先方突破隊)を申し出てたのは竹崎季長です。
景資もそれを許可し、季長は5名で元軍へ突入し、現在の赤坂~鳥飼付近で負傷しながらも奮戦し、元軍敗走の一役を担いました。
元軍はその夜に博多湾から撤退し、文永の役は終結します。